秋田こまっち。

秋田の方言メモ 第1話〜第3話

第1話.方言は恥ずかしくない!

 私が実家に帰り家族と話すときはもちろん秋田弁ですが(ただし県南バージョンですし、一応10代なので年配の方の様に本格的ではありません)果たして、実家で家族と話すときに方言を使わない人はどれほどいるでしょう。そう考えてみるとどうでしょうか。私の予想ではほとんどの人が多かれ少なかれ方言を話すと思います。方言を全く使わない人の方が少数派であることは間違いないでしょう。

 ですが、方言を話すことは恥ずかしいという社会通念があります。(関西弁などの一部の例外を除きます)私も高校生の頃までは秋田弁なんて好きではありませんでした。理由は単純です。田舎くさくて恥ずかしいからです。

 今は晴れて大学生となり標準語を毎日話すようになっています。といいますか、話が通じないので標準語しか話せません。話に同意するとき「んだんだ」ではなく「うんうん」と話さなければならないのです。

 ある日ふと気づきました。秋田弁を話せないことがもどかしいというか、苦痛というか、話している自分が自分であって自分でないように感じるというか……。結局秋田弁は私の要素だったのです。そう悟った私にはもう社会通念は通用しません。私にとっては最高レベルの癒しです。だからこうして秋田弁についてのエッセイをせっせと書いているわけです。

 「んだ」=うん。そう。

 03.07.**

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第2話.さんび

 今年の仙台の夏は異常なほど寒いです。仙台には「やませ」という夏に吹き寄せる冷たく湿った風がある、と地理で習ったことがあります。その影響もあるのかもしれませんが、それにしても異常だと思います。今日は7月25日で夏季休業にもう入っていますが、今この文を書いている私の服装はTシャツの重ね着の上に裏起毛のパーカーという有様です。

 10年ほど前の冷夏を思い出します。あのときは大変な米不足になったそうです。「そうです」というのはいかにも他人事のようですが、私の父は兼業農家の分際で自らをプロの米農家と自負しているほどの○○(自主規制)であり、全くといっていいほど影響が無かったからです。だから今年も実家の心配は無用だと思いますが、日本全体で考えると大きな問題です。先行きが不安です。

 さて、秋田弁では「寒い」を「さんび」(または「さび」)といいます。そして、「冷たい」を「ひゃっけ」(または「しゃっけ」「はっけ」)といいます。

 なんだそのままじゃん、とがっかりしないで下さい。口の動きを考えてみると、明らかに「さむい」より「さんび」、「つめたい」よりも「ひゃっけ」の方が小さくて楽なことに気づくでしょう。吹雪の中にいると想像してみて下さい。口は凍えて思うように動かなくなるはずです。つまり、秋田弁は地域の実情に合うように進化を遂げた言語なのです。素晴らしいですね秋田弁は。考えれば考えるほど好きになります。

 「さんび」(または「さび」)=寒い。
 「ひゃっけ」(または「しゃっけ」「はっけ」)=冷たい。

 03.07.25

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第3話.投げる

「ごみ投げていっていい?」
「えっ?投げるって?」
「えっ?」

 1番目と3番目は秋田弁をしゃべる自分のセリフ、2番目は関西出身の友人のセリフです。二人は何が分からなかったのでしょうか。相手側はごみは「捨てる」ものである、と捉えていたので「投げるって何?俺の部屋にごみを散らかしていくの?」と勘違いしてしまい混乱してしまったのです。そして、私はごみは「投げる」ものである、と捉えていたので「投げるって?」と聞かれてしまい、「投げる」(つまり「捨てる」)というかなり基本的な動詞の意味が伝わらなかったことに混乱してしまったのでした。どのくらい基本的かといいますと、学年は忘れてしまいましたが小学校のとき、クラスの壁に「ごみ投げを忘れずにしましょう」という文が書かれた紙が貼ってあった程です。

 秋田県民にごみを「捨てる」という意味はもちろん通じます。標準語だからです。ですが秋田県民はごみが邪魔だなと感じると、ごみを「投げなさい」という命令を脳が下すのです。こればかりはどうしようもありません。脳がそのセリフをまず思いつくのですから。挨拶しようとするとき、日本人は「こんにちは」、アメリカ人は「Hello」というセリフをまず思いつくということに似ています。

 さらに厄介なことに、「投げる」という動詞が標準語として存在してしまっていますから(例えば「ピッチャーがボールを投げる」という文は日本全国で通じます)秋田県民は標準語を相手に話したつもりになっているのです。意味が相手に全く伝わっていないにもかかわらずです。

 この経験から得たことは、自分が標準語を話したつもりになってはいるのですが実は相手に全く伝わっていないことがあるということです。そのことをしっかり認識しておき柔軟に対応する必要がありますね。そうしないとこの例のように、二人は標準語という言葉の架け橋とでもいうべきものを持っているのに、会話がストップしてしまうということがしばしば起こるでしょう。またもう少し考えてみると第2話での「さんび」のように反射的に、とっさにでてくる言葉についても同様だと思われます。

 ちなみに日本の西部では捨てることを「ほおる」とも言うそうな。日本の東部では「投げる」みたいですね。ちなみに英語では「throw away」ですよね。秋田弁と英語の感覚はすごく近いんだよ、明智クン。はい秋田の勝ち。(関連リンクSigma-Section

 「投げる」=投げる。(ゴミを)捨てる。

 03.07.**

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