秋田こまっち。
秋田の方言メモ 第22話〜第24話
第22話.鍵をかう
秋田弁で鍵はかけるものではなく、「かう」ものです。「鍵をかう」(標準語訳は「鍵をかける」)と使います。服にあるボタンにも「ボダンをかう」(標準語訳は「ボタンをかける」)と使います。中学校や高校の生活指導の先生にはおっちゃんが多かったような気がするのですが、「制服のホック、かえ!」(標準語訳は「制服のホック、かけろ!」)とよく注意されていた印象が強いからかもしれません。体育館で集会か何かがあるたび、担任の先生からも「おめなばだぼだぼでズボンはいでらごで!」(標準語訳は「お前はだぼだぼのズボンはいているな!」)なんて言われていました。だって標準規格の制服より、変形の制服の方がかっこいいんだもん(笑)
まあ間違いなく制服は着ていたので問題は無いでしょう。そんなに太いズボンでもないですけど、見る人が見ればわかる太さです。短いスカートをはきたがる女の子の気持ちがよく分かります。それは理屈じゃなくて感覚。ニュータイプを受け入れるにはニュータイプになるしかありません。そんなことは普通おっちゃんには無理ですし、そんなことを期待はしていません。
脱線しかけていますので軌道修正。「かう」を使うのは、「かける」の意味の中でも上記のように「ちょいちょいといじる」場合のみで、服をかけることを「服をかう」とは言いません。「服を買う」と勘違いされてしまいます。「鍵をかう」からは「かける」と「買う」の意味が取れますが、発音で区別されています。「かう」は「か」にアクセントがあります。「買う」の発音は皆さんがご存知の通りです。
また話がそれますが、カギというのはなんだか不思議なものです。ゲームの世界ではアイテムとしての鍵や、キーワードとしての鍵などの様々な鍵が無ければ次へ進めません。対して現実世界では、鍵をかけなければ色んなところに出かけることができません。鍵をかけないと出かけられないというわけではありませんが、当然鍵はかけるべきですよね。鍵が無いと意外に何もできません。お金もおろせないですし、それ以前に出かけられないですね。ログインやパスワードも一つの鍵ですし、そんなこんなで身の回りに鍵がどんどんと増えているような気がします。自分が関係している鍵の数なんて知れたものではありません。
鍵は「key」、鍵穴は「lock」のように、英語圏では日本語の「鍵」を2種類の単語で表すということを中学生のときに覚えた記憶があります。「keyword」も日本語では「キーワード」と表す以外にはやっぱり「鍵」と書かなくてはなりませんし、日本語の「鍵」からは沢山の意味を引き出せます。同じような単語がたくさんあるということは、文化がその分野においては豊かだということです。英語圏では「日本語で『鍵』と呼ばれるものが日本以上によく使われる言葉であった」のでそれに対応する言葉が増えたのでしょう。中世の頃の日本と西欧にちょっと想いを馳せるだけで納得できます。私の実家も玄関にはあまりカギがかかっていませんし(笑)
私が思った昔の日本は「お江戸でござる」のようなのほほんとしたものです。長屋があって、人情味があって、「向こう三軒両隣」なんて言葉がまさにぴったり当てはまるような開かれたイメージ。おおよそ今の鍵にあふれた社会とは全く違うものですね。「鍵をかけて自己と他者にはっきりと境界を置く暮らし」よりも「開かれていて助け合っていく暮らし」の方が粋で、いわゆるクールな暮らしのように感じますがどうでしょう。
最近鍵束に仲間が一人増えました。鍵が増えるたびに行動範囲が広がるでしょうが責任も多少感じます。「この鍵だけはせめてあったかい鍵になっておくれ」なんて、ちょっとだけ思ってしまいました。鍵からはどうしても冷たいイメージしか引き出せないですが、欠かせないものですからね。
と言いつつ、ゴミを捨てに行くときには鍵をかけませんが何か?(笑)
「かう」=(鍵、ボタンなどを)かける。
関連リンク
TEXT LIFE II(鍵ではなく、貸し借りの観点から日本の文化にせまっています)
04.09.17
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第23話.合併さ、かだる
最近全国的に市町村合併が盛んに行われていることは皆さんもご存知だと思います。秋田県でもその例に漏れず、69市町村ありますが、現在そのうち62市町村が合併に絡んでいまして21市町村になります。まあほとんどの市町村がどこかと合併するということです。私の出身のところも来年の合併が予定されています。
国が合併を進めているのは「効率化」という一言に尽きます。地方議員や役場の職員の数を減らせますし、今まで積み重ねてきた地方債をまとめて処理しようとするためです。日本は国債だけでも400万円以上、地方債もあわせると700万円以上の債務を国民各々が抱えています。(関連リンクgakuten classic club)リンク先を参照すると、国民が借金を返すどころか秒単位で借金を増やしていることがよく分かります。このことは小学校の社会で習うレベルのことですが、知らない人が依然として多いままです。
重要な問題ですがそんなことはこの際どうでもいい(笑)ので、身の丈に合ったことを書きます。市町村合併をする際に話題になることの一つに「合併後の新しい名前」があります。当事者には悪いですが、推移を見るとなかなか面白いです。合併を成功させる一つのポイントとも言えるのではないでしょうか。秋田県では合併後の名前でもめて、合併協議会から離脱した町もありましたし(笑)
まず、絶対的な求心力を持った市に色々くっつく場合はすんなり決まることが多いです。秋田県の場合は「秋田市」「横手市」がこれに当てはまります。秋田市は全く問題ないです。横手市は県南では中心の街ですから、こちらも問題ありません。合併後も「秋田市」と「横手市」は市名が変わりません。
それ以外、同じ規模の町や市が合併するときが大きな問題になります。そうすると「北」だの「西」だのと味気ない、いかにも行政の手続きのような名前になってしまいがちです。テレビで「四国中央市で〜」なんて放送されると、この地域の人はこの名前をどう思っているのか気になったりします。地域の人が好きだったらいいのですが……。
そんな中「さいたま市」「南アルプス市」なんていうのは上手い名前だと今でも感心しています。前者は「県庁所在地の浦和市」「新幹線が通る大宮市」という二つの市を対立させることなく、「さいたま」の名の下に結束させました。(「与野市」を話題にしなくて、関係者の方ごめんなさい)「さいたま」という地名が無かったのも幸運でした。その後の市長選ではやっぱり対立しましたが、それくらいは目をつむってあげましょう。後者はまず「アルプス」という響きが素晴らしいですし、山梨県にあるということもすぐに分かります。利害の対立も無くすんなり決まったようにも感じます。市章も山をイメージしたクールなデザインでなかなかいいです。(関連リンク南アルプス市役所)
さて、秋田は……。二箇所ほど他県と対立している地名があります。秋田県にできる予定の「白神市」と、岩手県にできる予定の「八幡平市」です。どちらも地名が他県との県境をまたぐ形になっているからです。世界遺産にも登録された「白神山地」は秋田と青森の県境ですし、「十和田八幡平国立公園」のうちの八幡平地域は秋田と岩手の県境にあります。片方の県が「○○市」という名前を付けようとすると、もう片方の県が「それは止めて欲しい」と主張するという構図。弱りましたね。どうすればいいのでしょう。
実は同じようなことを経験したことがあります。中学生のときに部活動で東北選抜大会に出場したことがありまして、そのとき「十和田中学校」と試合をしました。秋田県に「十和田」という市町村名は無く、青森には「十和田市」「十和田湖町」があることは知っていましたから青森の人だと思いましたが、なんと秋田県の中学校だったのです。十和田の地名の元になったであろう「十和田湖」は秋田と青森の県境にあります。だから納得はできたのですが、どうも釈然としませんでした。というよりも、話している言葉の発音が違っていたので他県だと思っていたということもあります。同じ県なのに、こうも発音が違うものかとビックリしました。県北の方が県南よりもものすごく訛りが激しかったです(笑)
本題に戻ります。地名の対立を避けるにはどうすればいいかというと、私の考えは妥協(笑)です。「秋田白神市」「岩手八幡平市」とすればいいのではないでしょうか。地名はその地の人のものではなく、その地名を目にしたり口にしたりする皆のものですから、その方が分かりやすくていいかと思います。声を荒げているのも「その地名が大好き」だからでしょうし、穏便に、そして冷静に話し合いをして頂きたいと思っています。
このまま終わると秋田の方言が一つも無いので、捨て台詞でも吐いて終わります。合併に参加することを秋田では「合併さ、かだる」(標準語訳は「合併に、参加する」)と言います。小学生が遊んでいる時に「か〜で〜で〜!」(標準語訳は「い〜れ〜て〜!」)「い〜い〜よ〜!」なんてやっているのを見ると、微笑ましいですね。少なくとも私の世代では言いましたが、今の子どもは言うのでしょうか。言うと信じて終わります。
「かだる」=参加する。(仲間や、輪の中に)はいる。
04.09.19
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第24話.はたぎ山
ハチがベランダに巣をつくっていました。人差し指と親指で輪を作ったぐらいの大きさの巣です。ひっきりなしに飛んできては巣を覆い隠していました。そしてハチは巣に足をついて、周りをくるくると回っているのです。たまに飛び立ったかと思うと、またすぐに巣に足をつけてくるくると回ります。「何をしているんだろう」と思い、じっと眺めている自分に気がついたとき、どこか懐かしい気持ちになりました。
あまり憶えてはいないのですが、小さい頃こんなことがよくあったように思います。小学校の低学年ぐらいの頃。毛虫が道路の上をゆっくり動いているのを見たら、立ち止まってちょっと眺めてみる。トンボが2匹や3匹くっついて飛んでいるのをみたら、ちょっと眺めてみる。カエルが鳴いているとき、その膨れては元に戻る一連の動きをじっと眺めてみる。数えればキリが無いようなそんなこと。じっと眺めることには直接何の意味も無いのですが、今となっては何か意味があるように感じています。不思議な感覚です。
虫といえば、秋田で今頃、農道にイナゴがわさわさと飛んでいるような時期です。祖母はイナゴのことを「はたぎ」や「はったぎ」などと言っています。そして、子どものわんぱくエネルギーを利用し、ペットボトルにイナゴを集めさせます。これを醤油や砂糖などで味付けして煮ると、イナゴの佃煮の出来上がりです。好き嫌いがありますが、私は結構好きです。でも食べるときに注意して食べないと、イナゴの足が歯茎にささって痛いです(笑)(関連リンク珍獣の館)
小学校低学年の頃には、相撲をやっていたことがあります。「おめなば『はたぎ山』だな」(標準語訳は「お前は『はたぎ山』だな」)などと言われていました。この秋田弁の感覚まではよく分かりませんが、おそらく体格が貧相だったからからか、ちょこまかと動き回るからからでしょう。「もやしっこ」みたいな言葉だと思われます。相撲で主にしていた戦法は「足掛け」と「足取り」でした。やせている人が身体の大きな人にぶつかるので、こうでもしないと勝ち目が無かったんです(笑)
相撲の大会に一回だけ出場したことがあります。一回戦を勝ち上がり、二回戦で負けましたが、父からは物凄くほめられました。「『はたぎ山』が勝つとおもわねがった。一回戦で半分まげるごどだべがら、まずいぐやった」(標準語訳は「『はたぎ山』が勝つと思わなかった。一回戦で半分負けることだろうから、本当によくやった」)と言われたことを今でもよく憶えています。「負けたのは悔しかったけど、勝ったのは嬉しかった」という私の気持ちをそのままズバリと言ってくれました。
話は変わります。最近、一般常識に欠けている子どもたちが多いように感じます。一般常識といっても、就職試験に出題されるようなものではなく、子どものころに聞いたような他愛も無いことです。「三畳紀、ジュラ紀、白亜紀があって、そのころ『恐竜』が地上を席巻していたこと」、「『月』には大気が無く、重力も地球の1/6しかないこと」、「『カブトムシ』は卵、幼虫、サナギと経てようやく成虫になること」など、別に覚えていなくても特別な影響は無いのですが、覚えていないと人から「あれ?」と思われるようなことを知らないんです。「興味が無いのかな」とも思いましたが、私自身それらを興味を持って覚えたという事も無いような気がします。自然にすっと頭に入っていることです。
きっと誰もそんなことを話してくれる人がいないのでしょう。あるいは自分からそういった話題に近づくことも無いのでしょう。どんなことであれ覚えることはいいことでしょうが「知らないことが悪いのか」と問われると、どうも言葉に詰まります。「知って何になるのか」と問われても、同様に答えられません。
あえて言うならば、その余裕に価値があると思います。お金は得ても使えばなくなりますが、知識は得れば得るほど増えていきます。でも問題が一つあって、知識は使いどころが難しく、溜まってもなかなか捌け口が無いです。「イナゴ」のことなんて、いつ誰に話せばいいのでしょう。
ですが、「一見意味の無い余裕も、『語彙』や『ボキャブラリー』という言葉で表現すれば意味があるように見える」という言葉のマジックを披露して終わります。
「はたぎ」(「はったぎ」)=イナゴ。
04.09.20