秋田こまっち。

秋田の方言メモ 第34話〜第36話

第34話.なべっこでいものこ汁

 ちょっと前に両親が仙台に来ました。そして米をどんと置いていきました。もちろん新米のあきたこまちです。

 「さきがけonTheWeb」というサイトで確認したのですが、今年のあきたこまちの作況指数は「85」で、特に台風15号の塩害をもろに受けてしまった県央部は「69」という低さなんだとか。全県でみてもタイ米が緊急輸入されたあの1993年の「83」という数字に次ぐ低い水準なのだそうです。

 兼業農家の分際でプロと自負している父は「じらっと」(関連リンクサイト内リンク)していました。「なんてもねぇ」(標準語訳は「なんでもない」)なんて言っていましたが、強がりなのか、それとも本当になんでもないのかはさっぱり分かりませんでした。米をどんと置いていくというパフォーマンスは「心配するな」という気持ちの表れのようですが。でも「俺の新米を食ってくれ」と口にはしなくても、行動で示すという典型的な秋田人タイプなのです。だから大丈夫かなとは思っています。

 その時に「なんがかせれ」(標準語訳は「何か食べさせて」)とは言っていませんでしたが、ちょうどお昼に着いたので両親はかなりお腹がすいていそうでした。口には出さなくとも目は語っていました。口ほどにものを言っていました。

 「にぎりまま」(標準語訳は「おにぎり」)を持ってきていたので、汁物だなと思い「いものこ汁」をこしらえました。里芋、こんにゃく、鶏肉、セリを醤油ベースの味付けで煮るだけです。幸運にも、一人暮らしの冷蔵庫に似つかわしくないマニアックな食材が揃っていました。父は「ん、うめ」(標準語訳は「うん、うまい」)と言って食べていました。母は黙々と食べていました。さては一人暮らしで得てきた私のスキルに焦ったのでしょうか(笑)

 さっさと帰したかったところですが、テーブルの上のパソコンに興味を持ち始めます。インターネットで何かしようとしていたのですが、なんと使い方が分からないそうな。YahooやGoogleのような検索ができるサイトでこの枠の中に文字を打ち込んで……。なんて手取り足取り教えて帰しました。実家にはデスクトップのパソコンが確かにありましたが、ネットワークにはつながっていませんでした。

 このサイトへの来客はキッズgooからが異常なほど多いんですよね。約10%というGoogle並みの高水準です。そしてきまって「秋田 方言」でやって来るんです。「さては宿題で秋田弁のことが出されたな」といつも思っていて、そんな子どもたちの力になるようにサイト構造が分かりやすいようにしてあげようとは思っていました。が、こんな身近にキッズgooすら使えない大人がいたことには驚きです。一太郎ばかり使うのはいい加減止めて欲しいです。ネットも少しはして下さい!(笑)

 秋田弁の話ですが、「いものこ汁」といえば「なべっこ」です。秋田県南の小中学校には、大概「なべっこ遠足」という行事があります。川原に食材や食器、ペンキの缶をくりぬいた即席のかまど、大きな鍋などを持って行き、「いものこ汁」を作って食べるというイベントです。

 小学校の高学年にもなるともう慣れっこです。「お前は鍋、お前ん家は大工だからおがくず、お前は1年生だから杓子」という感じでリーダーシップを取ります。そして、「いものこ汁」だけではなく、火のなかにサツマイモを突っ込んで焼き芋をこしらえたり、焼肉をやりだしたり、味噌と醤油を合わせて味付けしてみたり、残った汁でうどんを煮てみたり。秋田の文化の中でも本当にいいものだと思います。創造力、実行力、協力姿勢、計画力等を小さいころから養うことができます。今でも楽しかったことがありありと思い出せます。

 「里芋、こんにゃく、鶏肉、セリを醤油ベースの味付けで煮る」というのが私の基本スタイルですが、仙台や山形では違うようです。仙台では「芋煮」と言いまして、豚汁に里芋を入れたような感じです。山形のは食べたことがありませんが、牛肉を使うようです。でもやっぱり自分のスタイルが好きなのです。どうも私の脳は仙台の芋煮を豚汁と認識してしまうようです。

 この間サークルの芋煮がありましたが、台風のせいで日程が急遽変更になり参加できなくなりました。残念です。風の噂で「キリタンポ」を投入したと聞きましたが、さては権力者のRさんだな。私のスタイルには「キリタンポ」もきっと合います。「キリタンポ」や「だまこ」(秋田には「だまこ汁」という料理があり、「だまこ」はサイズの違うキリタンポと思えば問題ありません)も同じような味付けなので。うう、行きたかったです。

 で、両親が帰ったその日の夜に、母から「山形経由で今着いた」というメールが来ました。なんだ山形に行きたかっただけか、と米のパフォーマンスを心配して損しました。私の独り暮らしっぷりを心配して損したから、向こうから攻撃を仕掛けてしてきたのかもしれませんね(笑)

 …互いに心配しあって、もどかしすぎますね。何じゃこりゃ。

 「なんてもねぇ」=なんでもない。問題ない。
 「かせる」=食べさせる。
 「まま」=ご飯。
 「にぎりまま」=おにぎり。にぎりめし。
 「いものこ」=里芋。
 「なべっこ」=川原にある程度の人数が集まり「いものこ汁」を堪能するイベント。仙台では「芋煮」。
 「だまこ」=小さい「キリタンポ」のような食べ物。

 04.10.28

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第35話.私のパエリアはめっこまま

 ちょっと前に先輩と視力の話をしました。

 私の視力は非常に悪く、裸眼ではおそらく0.1もないでしょう。視力検査表の一番上の大きい文字もぼやけていてよく分かりません。普通の人は、あの文字を見て「バカにしてるの?」なんて思うのかもしれませんが、本当に分からないのです。信じられないでしょう。一番上の文字が見えないような人の視力をどうやって測るか、皆さんはご存知でしょうか。そのサイズの文字が書かれたパネルを持って、先生がだんだんと近づいてくるんです。もしくは、自分が視力検査の表にだんだんと近づいていくというパターンもあります。

 視力は正しく測るべきものですが、なぜか頑張ろうと思ってしまうものですね。私も中学生くらいまではそうでした。しかしこの水準まできてしまうと、もう頑張ろうというモチベーションがありません。はぁ。

 メガネもコンタクトも使っている私ですが、かなり視力が悪いため、ちょっと目が悪い人と比べるとかなりお金がかかってしまいます。コンタクトは二週間交換のタイプですが月3000円ほど。普通3ヵ月分をまとめて購入するので、9000円ちょっとかかります。本当は毎日交換できるタイプがいいのですが、強い乱視も入っているので2週間タイプじゃないと対応できないと言われてそうしています。

 そういえばこの前先輩が「コンタクト〜?え?何?ワンデイ?ナンデイ?」なんて言っていました。これには失笑。アドリブで言葉を意図的に掛けたのなら、かなりの玄人とみましたよ。笑いながら言っていましたし、言った人の思慮深いキャラも考えるとその可能性は多分にあります。師匠発見。即マークしました。よろしくお願いします。

 秋田弁では、目が悪い人のことを「めちゃれこ」や「めんくされ」などと言います。恐らく、差別的意味合いも含まれているので、大っぴらに言ってはならない言葉です。「めんくされ」はきっと「目腐れ」ということでしょうし。また目が悪くなくとも、目やにがついた状態の目にも「めんくされ」と言ったりします。

 ローカルな話題になりますが、平鹿町浅舞にある「よねや」というスーパーマーケットがあります。その道路を挟んだ向かい側にちょこんとしたお店があります。目が悪い兄さんのお店、「めっこあんつぁ」の店だと聞かされていました。そのお店では何を売っていたのかまでは覚えていません。「めっこ」というのは「めちゃれこ」のことなのではないでしょうか。「あんつぁ」は「兄」と言う意味なので、「めっこあんつぁ」の店とは、目が悪い兄さんの店という意味になるのでしょう。

 秋田弁では「目」を「まなぐ」と言います。ですからわざわざ差別的な言葉である「めちゃれこ」や「めんくされ」を使わなくとも「まなぐわり」(標準語訳は「目が悪い」)で事足ります。さらに「目が悪い」という言葉自体、普段はなかなか使わないものです。そのおかげかgoogleでは「めちゃれこ」のヒット数が0件でした(04.11.05現在)。どこよりも先駆けて情報を発信できたのは嬉しい限りです。

 話はちょっと変わります。

 「めっこ」というと、やっぱり「めっこまま」のことが思い浮かびます。「めっこまま」とは「まだ炊けきっていないご飯」のことです。炊いてあるのにお米の芯がまだあるということですね。炊飯器で調理するなら、きっちりしておけばそんなことは普通起こりません。ただ現代文明の利器に頼りすぎた人間の手でお米の調理をすると、まれに出来上がります。

 私がやってしまったのはパエリアです。パエリアはお米の芯をちょっと残すのがポイントのようですが、水加減がとっても難しいのです。一人暮らしの男には荷が重過ぎました。出来上がったのは単なる「めっこまま」(笑)

 「めっこまま」と「パエリア」は物凄く近い位置にあるのではないかとふと思いました。「めっこまま」=「パエリア」ではないのでしょうが、もしパエリアを日本語にしようと思うのなら「めっこまま」=「パエリア」とするしかないと思うのです。独立行政法人国立国語研究所の関係者はちょっと考えてみてください。

 「めっこまま」の反対が「きゃっこまま」です。「きゃっこまま」は「お粥」という意味になります。「めっこ」も「きゃっこ」も語源の想像がつきません。「めっこ」は「芽っこ」と単純に考える訳にもいかないでしょうし。

 「きゃっこまま」もあれば「きゃっこ汁」もあります。アサリやシジミなどの貝が入った汁物であれば、味噌汁でもお吸い物でも使えると思います。この「きゃっこ」は「貝っこ」だとすぐに分かるのですが。

 話が二転三転していますが、視力測定の話に戻ります。

 中学校の視力測定の日、私の後輩が視力を測っていました。その人はお笑い系のキャラなのですが、おもむろに「東!」と大声で喋ったのです。「右だよ!」と突っ込むのも忘れて、皆爆笑していました。

 嗚呼、天才を此処にも発見。

 「めちゃれこ」=視力が悪い人。
 「めんくされ」=視力が悪い人。目やにがでる人。
 「よねや」=秋田県南地方に展開しているスーパーマーケット。
 「あんつぁ」=兄。
 「まなぐ」=目。眼。
 「めっこまま」=まだ炊け切っていない芯の残ったご飯。
 「きゃっこまま」=お粥。
 「きゃっこ汁」=(アサリやシジミなどの)貝類が入った汁物。

関連リンク
菊池綜合法律事務所(外来語とその言い換え語の一覧表があります)

 04.11.05

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第36話.「ねねね」と「でがさねね」の狭間で

 しばらく更新ができず大変申し訳ありませんでした。

 ちょっと忙しくなると、どうしても睡眠時間を削る必要があります。あまり好きではない徹夜もしなければならなくなります。もっと効率よく物事を処理できるといいのですが、その人の性格というものもあるでしょうから結構難しいものですね。

 徹夜をした朝に風呂に入ることが多いのですが、徹夜をするくらいなので時間にゆとりが無く、風呂に浸かりながら同時進行で歯磨きもしています。その時に歯磨きの動きだけで心臓がバクバクしてきて、更に水圧で胸がうぅって苦しくなる、爽やかな一日の始まりです。

 そして徹夜した日の夜にはサークルで運動運動……、もしくはバイトバイト……。そして部屋に帰ってきてやるべきことをこなせないうちに就寝。完全な悪循環ですね(汗)

 「ねね
 「ねねね
 「ねねねね〜

 これは意味を持った秋田弁のフレーズです。「ねね」は「寝ね」を指し、「寝ない」という意味になります。「ねねね」は「寝なければならない」、「ねねねね〜」は「寝なければならないね」となります。「ねねねね〜」はちょっと苦しいですが、こう言えなくもありません。

 秋田県民の感覚では「ねねね」が通じないのはなんとも不思議な感じです。こんなに眠たそうな顔をして「ねねね」と言っているのですが、やっぱり通じないものでしょうか。何度も提言していますがこういった「秋田弁と標準語の境」にある言葉には注意をしなくてはなりません。通じていると思っても通じていないことがままあるので。

 「〜ねね」(標準語訳は「〜しなければならない」)というフレーズは非常によく使います。秋田で暮らすのだったら毎日のように使うと思います。「さねね」(標準語訳は「しなければならない」)、「かねね」(標準語訳は「食べなければならない」)、「行がねね」(標準語訳は「行かなければならない」)などなど。長い言葉を短く表現できるということはとても使えるということです。

 「」(標準語訳は「食べなさい」)
 「」(標準語訳は「食べる」)

 「どさ」(標準語訳は「どこに行くの?」)
 「ゆさ」(標準語訳は「温泉に」)

 以前誰か(多分タモリ?)がテレビで言っていたように、上記のような秋田弁の短いフレーズが飛び交っているわけです。楽ですから。

 さて話は変わります。

 「あ〜、あれもでがさねね」(標準語訳は「あ〜、あれも完成させないといけない」)と言いたいところですが、仙台では通じませんでした。「でかす」という言葉は標準語にもある(関連リンク@nifty:辞書)のですが通じませんでした。「でがす」は「完成させる」という意味です。これを私が好んで使っているのは独特な意味合いが強いと思っているからです。

 「完成させる」や「仕上げる」という言葉だと、「完成」というところに重点が置かれているために「取り掛かろう」という意味が薄れてしまいます。そして「完成させる」という意味だと一気に「完成」させなくてはならないような気になりますが、「でがす」だとぼちぼち完成させても構わないような感覚です。

 かといって、「やる」では「完成」という意味が薄れ、具体的な動作のイメージが浮かびにくいですね。「宿題やらなきゃ!」と「宿題でかさなきゃ!」では、後者の方が期日に追われ焦っている様が浮かびますが、前者は無味乾燥なイメージがします。

 方言は生活の言葉です。ですから口語が多く、挨拶の言葉が多く、ローカルなネタが豊富に含まれています。その地域の人びとに密着したものです。ですから他コミュニティーの人に通じないのは当然です。内輪ネタのようなものですから。

 そこで、他コミュニティーの人と交流する必要がある場合には標準語を使うことになりますが、語彙が貧弱で通じないというのはとても情けないことです。語彙というのは難しい言葉を求めることだとも、知識のひけらかしだとも思っていません。実際そう捉えている人がいるとしたら間違いだと、私はそう感じます。言葉一つ一つに感覚の違いがあるから、たくさんの言葉があるのだと思っています。

 私の場合、英語を勉強することでだんだんとこのことが分かってきました。「見る」という意味の簡単な単語だけでも「see」「look」「watch」と三種類あり、これらの感覚はかなり違ったものです。これは中々の好例だと思います。

 「でかす」というたった三文字の単語ですが、計り知れない背景があって、その感覚を伝えたいがためにこれを使うのです。「やる」を使うのは何だかもどかしいと感じるのですが、「でかす」を知らない人には仕方がないので「やる」で対応します。

 そして語彙があまり無い人にとっては「語彙」という言葉それ自体もちょっと敷居が高いようで……。「語彙」「ボキャブラリー」という言葉を知らない人にこれらのことを伝えるのは骨の折れる作業ですね。感覚は本当に語彙のある人でないとなかなか伝えられません。「大きい」という言葉の意味を「大きい」という言葉を使わないで説明することが困難なのと同様に。

 「ねね」=寝ない。
 「〜ねね」=〜しなければならない。
 「でがす」=完成させる。仕上げる。

 04.11.23

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