秋田こまっち。

思ったことメモ 思い1〜思い3

思い1.ファンタのCM

 私のおすすめCMはアミノ式も捨てがたいですが、ファンタです。あんな先生いたら最悪ですけど、先生シリーズが面白い。記憶を頼りにファンタのCMのレポートを書きます。

・3年A組革ジャン先生
先生「ベイベー、ベイベー」
生徒「受験間に合うのかなぁ」

・3年C組ドラゴン先生
先生「ハァー、アチョー、ファー……、はいここテストにでま〜す」
生徒「やってらんねぇ〜」

・3年D組激安先生
先生「198の○○が2割引で、ボーナス一括払いでさらに5%オフ、さらに今なら13%のポイント還元、さていくら!」
生徒「6割引きだったよ……」

・3年F組DJ先生
先生「次次次の問題は〜、やまやま山下さん」
生徒「3xです」
先生「チュッチュチャカチャカ……、違います」
生徒「傷つくわぁ」

・3年G組将軍先生
先生「授業じゃ。この問題が分かる者は誰かおるか。おらんのか!」
生徒「はい」
先生「頭が高い!」
生徒「どうすりゃいいんだよ……」

・3年H組昼メロ先生
男「まさこ!」
先生「いまさら何よ!」
男「俺が悪かった」
先生「バカーっ。寂しかったー」
義母「このドロボウ猫」
先生「お義母さま!」
生徒「授業しろよ……」

・3年J組ツッパリ先生
先生「漢字テストだぁ。こらぁ。横田!3年だったら読めるだろこんぐらい。(吐露非狩古鬱)」
生徒「読めません……」
先生「トーローピーカル、フルーツだぁぁ!」
生徒「そんな無茶な……」

・3年S組黒ひげ先生
生徒が次々に剣を刺していく。ある一人の生徒の剣で先生が吹き飛ぶ。
先生「掃除当番です」
生徒「そんなのアリかよ……」

 このCMを見て笑っている場合では無いことには皆さんお気づきでしょう。こういった風刺が好評をはくすほど、日本の教育の現場は来るべきところまで来ているということです。一般の方々が笑えば笑うほど、青ざめていく人がごく一部にいるということです。でもとりあえず、笑っておきましょう(笑)(関連リンクGeneric Information Country Oriental

 04.05.15

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思い2.箸

 一人暮らしをしていますと、スーパーやコンビニ、他外食関係にはお世話になります。不本意ながら、私の本日の夕飯はスーパーのおつとめ品のカレーでした。私の食事購入のダントツの1位はご飯の炊き忘れです。純粋に炊き忘れ、スイッチの押し忘れ、米をといでスイッチを入れる時間さえ無いなんて時も……。

 これを買う時に以前スーパーであった出来事を思い出してしまいました。レジで箸をくれなかったのです。(今回カレーはしっかりとスプーンが貼り付けてありました)コンビニでは絶対にありませんが、スーパーではたまにこんなことがあります。私的にマニュアル通り行動してくれる店員さんは大歓迎です。「ご注文の方はお決まりだったでしょうか?」「お皿の方をおさげさせて頂きますがよろしいでしょうか?」「とんでもございません」「おつりの方は50円です、お確かめ下さい、ありがとうございました」なんて言葉は気にしません。ついつい50円玉をしっかり眺めてしまう素直な私。まあこんなところで話題にしているってことは思いっきり気にしていることの裏返しですけどね。

 こんなときはつい癖で考えちゃいます。

 「今この状況に置かれた私は果たして箸をくださいと言うべきかどうか……。箸は100本入の袋が部屋にあるけど、消費したくないから何となく欲しい……。でも言うほどのことでもないし、何となく恥ずかしい……。でもこんな買い物をする若造はレジで箸をもらうのが普通だろうし、店員さんも同年代の女の子だし理解してくれるだろう……。でもずっとこうして考えていたいけど、考えれば考えるほど時間が経過し箸をもらいにくくなる……。そうこうしているうちに店員さんと目があってしまって、なんか気持ちを悟られたか……。マイバックに商品を詰め終わったし、最後のチャンスは今しかないっ……。でもスーパーのカゴを重ねちゃったし、本当の最後のチャンスは今しかないっっ……。でもでも果たして玄関に歩を進めている人がなぜに箸を欲しがっているんだろうか。それとも私は箸をもらいたいのだろうか?この感情に近いのはスーパーの袋をもらいたい人、三角折りにして保存する人の気持ちだろう……。だとしたら、なぜ私はマイバックを持参しているのか。マイバック持参and箸をもらう、という行為は不自然では無いか?なぜマイバックを持参しているのか?それは地球の環境のために少しでも貢献できればという気持ちからだ……。環境という観点から考えると箸をもらう行為は自然なことであろうか?おそらくもらわない方がよいだろう……。これは大きな矛盾だ。しかしそれ以前に、この箸をもらいたいという衝動はどこからやってきたのだろう……。箸一膳もらうかどうかなど長い人生で取るに足らない些事なのに。そこに私をさらに見つめるカギがあるに違いない……」

 ………。

 結局、箸はもらいませんでした。いいんです、それでいいんです。バカなネタを提供してくれた店員さんありがとう。本当にありがとう。天にも昇るほどの至福の時でした。この「箸をくれなかった」ご恩は一生忘れません。

 04.06.13

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思い3.自然

 数年前にちょっと考えていたことを最近の講義で思い出しました。「主体的になれ」とか、「私のいうことは聞くな」といった矛盾を含む内容は人間の行動を迷わせるといった内容でした。まあ説明するまでもないと思いますけど、「私のいうことは聞くな」ということに従う場合「いうこと」を聞いてしまっていますし、従わない場合はその人に従っていないということになります。要はどちらの行動も取れないという事ですね。こんな感じで雑談もちゃんと聞いているので、単位ください。

 さて私が思い出したこととは、題の通り「自然」についてです。私は環境のことを勉強したくて進学しましたし、スーパーにマイバックを持参するほどの自然愛好家なので自然についてはうるさいですよ。

 本題ですが、メディア等で以前から「自然を守りましょう」とよく言われていますよね。私はこのフレーズは矛盾していると思います。仮に地球に人がいないとしてみますと、火山が噴火したらそのまま、砂漠化してもそのまま、となるはずです。地球はなるがままの姿を保とうとしているのに対し、人間が自然に介入し自然を守ろうとしているのです。環境が変わってしまったら人間は生きられなくなってしまうためです。

 人間がいなかった場合の本来の自然が「自然」と考えるならば、人間の存在は「不自然」になってしまうので、そう考えることはできないはずです。私は水と有機酸が豊富に存在する上、水が気体、液体、固体の3つの状態を保つことができる環境にある地球で、長い時間がかかったとしても人間が誕生したことは自然だと思っているので、私的には人間の存在は当然です。さらに、人間が存在している限り人間がいなかった場合に比べて地球が汚れ、環境が変化していくことも当然です。

 私達は「つくられた自然」の中でしか生きられません。言いたいことはそれだけです。「地球を人間の住みやすい環境に保ちましょう」と言いたいところですが、問題があるので「自然を〜」と言っているのでしょうね。他の生物を差し置いている自己中心的な考えを言い換えることで、積極的に主張しないあたりが人間の卑怯なところですね。アサリを食べる変な生物が宮城県に出現しましたが、レポーターも「大変グロテスクな生き物が……」などと言っていましたし。本心としては「アサリを食べる生物はいらない!いなくなってしまえ!むしろ絶滅しろ!」とさえ言いたいところでしょう。

 「自然を守りましょう」の言葉には「地球を人間の住みやすい環境に変えていきましょう」といったニュアンスも含まれていると感じるのは私だけでしょうか。

 ならば人間生活における「自然」って何なのでしょうね。化石燃料を大量に消費し、地球環境を激減させていくのが「自然」なのか、はたまた、そうならないように積極的に地球環境に介入し、地球環境を保っていくのが「自然」なのか……。自分で提言しておきながら「自然」が何なのか分からなくなってきました。

 04.06.16

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