秋田こまっち。

思ったことメモ 思い4〜思い6

思い4.車とバイク

 暑いです。本当に。6月なのに30℃越しちゃっていますよ。台風一過の暑さですね。今年初の真夏日。まず、ぬぎ。(標準語訳は「本当に暑い」)さて、昨日の台風では仙台は雨と風、共に強まりましたが、それほどの被害は無かったように感じます。でも昨日は「車道に壊れた傘が2本開いた状態で落ちていて、それが飛んでくる」という本当にヤヴァイ経験をしました。すんでの所で回避。死ぬかと思いました。傘ぐらいで……、と思わないで下さいね。バイクは空き缶1個でも死ねますよ。本当にバイクは危ない。このことは誰にも話したことはありませんが、私はバイクに乗る前に「無事でありますように」と祈ったり、バイクに乗り終わった後「今日も生きて帰って来られました」と感謝したりすることがたまにあります。マジです。車しか乗ったことの無い人にはこの感覚は絶対に分からないでしょう。

 バイクと車、相性が悪い2つの乗り物が同じ道路の上を走っているのが本当に不思議に感じられさえします。私は仙台ではバイク、秋田では車、と両方を運転しますので、どちらか一方にしか乗らない人よりはこの問題について分かっているつもりです。ここで個人的な意見をつらつらと書いてみたいと思います。

・車がバイクについて思うこと
 ウゼぇよ。左側からの無理な追い越し、急加速からの追い越し、信号で止まっているときや渋滞時の横抜けをするからバイクはウザイんですよ。私は平和主義者なので基本的に横抜けは許しますが、車が動いているときに横抜けするのは本当に危ないです。頼むからそれだけは止めてください。

 遅ぇよ。遅いというのはバイク(特に原付)の人には分からない感覚です。法定速度30km/hの原付でも、実際は50km/hで走っています。車の人は直線だったら60〜70km/hで走りたいんですよ。このちょっとの速度の差が困る原因です。20km/hぐらいで走っている自転車でしたら簡単に追い越せますよね。さらっと。でも50km/hで走っている原付は、見通しの良く長い直線でないと追い越せないんですよ。だから50km/hに合わせて後ろについていくことになりますが、これがまたなんとも…。また、信号が青になり、フルスロットルで走ってもたかが原付。うちの10万km走行のパルサーでもロー、セカンド、サード…、としっかり使って走れば絶対に車が速いですよ。勘違いはしないで下さいね。もう一度言いますが、たかが原付。

 うるせぇよ。これは基本的には大きいバイクですね。基本的に大きいバイクに乗る人はバイクや車が大好きです。なのでいじってるんですね、バイクを。まず、やがしめ。(標準語訳は「本当にうるさい」)

 道路の真ん中走るなよ。これは原付ですね。真ん中を走られると追い越せません。でもこれはバイクの気持ちもよく分かります。端を走るのは嫌なんですよ。道路にゴミとかが落ちていれば危ないですし、飛び出してくる人も多いですしね。前述したように、バイクの人は道路のゴミには敏感です。落ち葉とか、スーパーの袋とかちょっとしたもので転倒することがありますし。自動車学校で習うキープレフトは実情にそぐいません。車も、バイクも。車では片側2車線あったら、私は基本的に右を走ります。片側3車線なら真ん中を走ります。色々と危険を避けられるので。

・バイクが車について思うこと
 幅寄せすんなよ、車間距離とれよ。これは走っているときも、止まっているときも。なんともいえない圧迫感ですごく怖いです。タクシーによくあるのですが、止まるときにぴったり後ろに……。バックミラーで車のフロント部分が見えず、フロントガラスしか見えないくらいに……。頼むから止めてください。

 急ブレーキすんなよ。前方をよく見てゆっくりブレーキングすればいいのに、毎回ABS使ってお前は初心者かと。車は速く思いっきり踏むだけですが、バイクの急ブレーキは難しいです。前輪ロック→転倒、後輪ロック→グリップ低下となるためロックしないように、バランスをとって転倒しないように、と気を使います。今はエアコン、ABS、エアバックの3点セットは基本で、ABSの無い車は過去のものになっています。それが、お手軽急ブレーキを生んでしまっています。これはヤヴァイ。

 といった感じですね。

 あと気になったのはキープレフトですね。これを実践している人はいるのでしょうか。私は始めて運転した時に、父に「道路の真ん中を走れ」と言われました。センターに右タイヤがくる程度で走ると、父はなぜか満足げに。そして、「対向車が来た時に自分の車線をしっかりと走れ」と言われました。青森出身の友人も全く同じことを言われたそうです。これは田舎の暗黙のルールみたいです。雪国の人は、冬に「わだちを走る」(基本)、「一時停止せず、最徐行」(雪道では停止→発進が面倒)を実践する傾向もあるので、お気をつけて。完全な推測ですが、この癖が夏でもあるのでしょうね。

 04.06.22

ホーム > エッセイ > 思ったことメモ 思い4 「車とバイク」

思い5.人見知り

 これは土曜日のことです。飲み会がありまして参加しました。打ち上げみたいな感じの飲みです。結構な人数が集まってわいわいとやる形式の飲みでした。人数は正確には分かりませんが、50人以上はいたかと思いましたね。その時Yさんという先輩の女性から指摘されたことが忘れられません。しばらくは忘れないでしょうね。

「マジな話だから、私の目を見て聞いてね」
「カトゥーくんってさ、いいキャラあるんだから……。もっとだしていこーよ」
「ちょっとカトゥーくんのさ、考えを聞かせてよ」

 飲んでいたせいもあり、一瞬ぽかーんとしてしまいました。当然ですけど、考えなしには自分の考えを上手にしゃべれないんです。でも、なんとか色々としゃべりました。指摘されたのは「人見知り」のことみたいです。

 私はちょっと「人見知り」をします。あんまりにも小さい時のことは記憶にありません。でも小学生くらいの時は「きがねわらしだごで」(標準語訳は「言うことを聞かない子どもだな」)「まずわっぱがだ」(標準語訳は「本当にわんぱくだ」)などとしょっちゅう言われていたような気がします。だから今とは違いますね。中学生くらいの頃からでしょうか。少し「人見知り」をするようになったのは。中学生の時には身長もぐーんと伸びましたし、心も豊かになったかな、と感じています。色々ありましたからね。高校生の時と今、それぞれの物の考え方はほぼ一致しています。何度考えても「人見知り」への転機は中学生の時ですね。

 では「人見知り」とは何かちょっと調べてみました。(関連リンクExcite エキサイト 辞書:国語辞典)「子供などが見慣れない人に対して不安を感じたり、恥ずかしがったりすること」とあります。小さい子どもがもじもじしているようなことでしょうね。

 が、なぜか初対面の人に対し、私は特に不安を感じません、恥ずかしいという気持ちもありません。相手が信頼できない、嫌いというわけでもありませんし……。話しかけたいんですけど話しかけにくいのです。私は男女問わず話しかけられるとすごくうれしいです。相手の気持ちになって考えると、話しかけられた方が絶対にうれしいはず。でも、自分からはちょっと……。なので相手から話しかけるのを待ってしまうのです。数回話したことがあれば大丈夫なんですけどね。なぜ「人見知り」をするのかこれは今でも分かりません。考えても全く。

 思えば、女の子から遠まわしに言われることがありますね。

「疲れたの?」
「カトゥーくんって意外におもしろいんだね」
「カトゥーくんと初めてしゃべった気がする」

 最近言われたこういう発言も、きっと私が「人見知り」をしていたからなんですね。我ながら自分のアホらしさにへこみますね。こうして言われたことのうちで印象に残っているものをちょっと文章にしてみただけで……。

 さて、Yさんの話に。この人は当日ヒョウ柄の服で爪が緑。私はストライクゾーンが広いので気にはしませんが、なんだか苦手なタイプでした。でも私が「人見知り」をすること、先輩に言われたことはこれから実践するように努力することを話しました。そしたら……

「私も昔そうだったんだよ。でもかなり転校したから……。それじゃダメだって気づいたんだ。だからカトゥーにも直してほしいな」

 と言われました。この人が人見知りだったなんて、すごく意外でした。この人はかなり酒を勧める方で前回の飲みではお世話になりましたが、今回はそんなこともなく私に優しくしてくれました。心なしか、先輩の目がうるんでいたように……。先輩も色々大変だったんだな、と。そして私に優しく指摘(といいますか、本当はちょっと怒っていました)してくれました。怒ることは、自分のエゴをぶちまけること、相手のために悪い部分を指摘することの2つがあると私は前から考えています。この年にもなると後者で怒ってくれる人などそうはいません。本当に感動しました。と共に、ストライクゾーンがさらに広がりました、なんていうのは冗談。

 「人見知り」といってもそんなに激しくはないんです。どこぞの店の店員とかとは余裕で話せますし、特段日常生活には支障はきたしません。ただ、知り合い→友達、の過程が人に比べて若干遅いかなと。言われたことですし、直したほうがいいですね。難しいでしょうし、善処しますといったところですね。善処なんて目の前で言うと……

「こらっ!カトゥー!とりあえず飲めっ!」

 って言われちゃうでしょうけど。

 04.06.28

ホーム > エッセイ > 思ったことメモ 思い5 「人見知り」

思い6.死

 私の所属しているサークルで合宿があります。その時に「持病とかありませんか?あったら連絡してください」といった旨のメールが。思い出してしまいました。今でも私の体に残るこの「傷跡」、一生残り続け消えることの無い「傷跡」のお話を。

 高校2年の時です。私は猛烈な腹痛に耐えていました。両親は深夜の1時か2時くらいでしたかね、部屋に来るなり肩を抱き、私は病院に運ばれることとなりました。後から聞いたら「ただごととは思えなかったから」私を病院に連れて行ったのだそうです。今となってはこのことに私はただ感謝するばかりです。

 そして病院に着くと、ついには腹痛のため足に力が入らず車椅子になってしまいました。そのまま入院し、飲まず食わずで何日も検査の日々が続きました。CTスキャンですか、あれもやりました。そしてある日の深夜……、病室にエコー(妊婦のお腹の中の赤ちゃんとかの動きを調べたりする超音波検査の機械)を持ってきて二人の医者が私のお腹を調べていました。そしてある病気だと確信したみたいです。そして数日後手術。手術後も飲まず食わずの日々が続きます。ですが一週間くらいしたら何かの数値が高いみたいで二回目の手術。そして私は回復。約一ヶ月の入院生活が終わり、今では何の影響もなく毎日を過ごしています。

 「傷跡」とは手術でメスを入れた部分と、チューブが刺さっていた部分のことです。二回も同じところを手術したので、傷跡は消えることはありませんでした。そして退院時に医者からはこう告げられます。「急激な運動をしてもかまわないけど、傷が痛むようなら即静養。病院に来てね」と。このときの医者の一言をメールしたわけです。

 ありありと思い出せるとはこのことかというほどに、私に当時の思いがよみがえってきました。両親や友人には笑ってごまかしていましたが「自分はこのまま死ぬんじゃないか」とまで思っていました。尋常でない痛みと身体の具合、尋常でない検査。普通CTスキャンなんて使いませんよね。

 「死」というものに私は決して逆らうことができない、ということをすごく実感しました。「死」はやってくるものではなく、自分が「死」というものに一歩一歩近づいているというわけでもなく、実は「死」は自分に内在していて突然発現するものではないか、とさえ感じられるほどでした。死にゆく自分を自分では何にもできないのです。たとえどんなに生きたくても。

 この経験以降、私はいい意味で大人になりました。「人間はいつ死ぬか分からないから、明日死んでも構わないという生き方をしよう」と思うようになりました。そしてやってくる喜びは以前以上に大きなものとなり、やってくる悲しみは以前以上に小さなものとなり、太陽の光はよりまぶしく感じられます。

 だから理由のいかんにかかわらず、命を粗末に扱う人は嫌いです。色々と同情の余地はあるかもしれませんが、生きたくとも生きられない人がごまんといるからです。

 私が入院しているときに亡くなった、斜め向かいのベッドのじいさんはこんなことを言っていました。

俺なばまずいぎだ。でもよ、まだやりでごどなばある。おめもあるべ、やりでごど。でもよ、たぶんでぎねぐなるなだ。んだ、でぎねぐなる……」 (標準語訳は「俺は十分生きた。でもまだやりたいことはある。お前もあるだろ、やりたいこと。でも多分できなくなるよ。そう、できなくなる……」)

 思い出しただけでちょっと涙が出てきそうになります。「じいさん、精一杯生きます」、そう誓ったことさえ忘れそうでした。思い出した今ここに記し、今度は絶対に忘れません。忘れてはいけないことだと思います。

 退院後、学校へ行くと授業が進んでいまして…。ベクトルは空間ベクトルから、数列は漸化式から勉強することになった私です。こんな笑い話も。笑えないか。

 04.07.28

ホーム > エッセイ > 思ったことメモ 思い6 「死」