秋田こまっち。

思ったことメモ 思い7〜思い9

思い7.日本文化センター

 以前まったりしておしゃべりしていたとき、なぜか地方CMの話題になっていました。岩手出身の人が数人いて、その人たちが私には分からない岩手のCMを歌っていました。そのとき、たま〜に分かるCMを歌ったりするんですよ。「けんじワ〜ルド〜♪」などですね。

 その人が「せんだいぜろっにい〜にい〜、にいご〜にいの、にいにいにいにい〜、にっほ〜んぶんかセンタ〜♪」と歌ったときに、関東出身の人が「とうきょうぜろっさ〜ん、さんにいまるまる、にいにいにいにい〜、にっほ〜んぶんかセンタ〜♪」と歌い始めました。

 全体が「へぇ〜」っていう空気の中、長野出身の人が「な〜がのっぜろにいろく〜、にいはちろくの、にいにいにいにい〜、にっほ〜んぶんかセンタ〜♪」と歌い始め、一同爆笑。長野のリズムが悪すぎるんです。「えっ、音痴じゃないよね?(笑)」って聞く人もでる始末。

 「おもいっきりテレビ(日テレ)」のCMの日本文化センターは全国で音楽が違っていたんですね。(関連リンクAkiyoshi Ono’s just a little POSPOS homepage

 ちなみに合宿で福島に行ってきましたが、そこではフリーダイヤルで、紹介したHPと状況が変わってしまっていました。他にも変わってしまったところがあるかもしれませんので、ご了承ください。

 04.08.12

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思い8.すいません

 日本語の乱れが声高に主張されて久しいです。私は若いせいもあってか気になることは少ないのですが、敬語だけは気になってしまいます。新語や略語、カタカナ語は時代の流れ上仕方の無いものでしょうが、敬語は乱れるべきものではないと感じます。社会の変化と言ってしまえばそれまでですけど、今の子供たちは概して昔の子供たちよりも敬語を使わないことは間違いありません。例えば、小中学校の教科書には堂々と「先生が○○とおっしゃる」といった文が載っていますが、今の生徒は誰もそんなこと言いません。日本語、方言に興味がある私ですらせいぜい「先生が○○と言っています」ぐらいです。私の場合の丁寧語は聞き手に対しての敬意なので、先生には口に出しては敬意を表現していないということです。心の中には先生への敬意はほんのちょっとはありますよ。ですが、今ではその表現に何の違和感も無い社会です。さらに凄いことに先生にタメ口という人もちらほらと。おいおい、それはまずいでしょう……。

 特に気になっているのは「すいません」という言葉です。これを敬語と思っている人が多すぎます。私はバイト先で注意された時に上の人に「ミスしたらすいませんだろ!」と怒られたことがあります。「申し訳ありませんでした」と謝ったら、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして更にブスっとされたことがありました。「すいません」という言葉はあまり使うべきでは無い言葉、ととっていた私は習性でそう発言してしまったのですが、体育会系のバイトではまずい発言をしてしまったか、と若干の後悔をしています。それ以来「すいません」という言葉には敏感に反応してしまう私です。結構世の中に溢れていますよ。

 「すいません」はスポーツ関係のとき、体育会系の人には多用される語ですが、本来改まった場では使うべきの言葉ではありません。私はサークルのとき、プレーでへまをやってしまった場合は「ごめんなさい」と言います。口でつい言ってしまうのはまだいいとして、書き言葉の「すいません」はどうも好きになれません。「すいませんが〜」なんてあったらどうもしっくりきません。だからあえて使いませんし、あまり相手に使って欲しくもありません。「失礼しました」「申し訳ございません」などの表現がびっとしていていいと思います。

 私みたいに何でもないようなことにこだわったりする人がいますからご注意下さい。もしかしたら、どなたかも似たようなことでうっぷんが溜まっているかもしれませんね。日本語が乱れているのか、はたまた変化しているのかは現在を過去として振り返ることでしか分かりませんが、一応苦言を呈させて頂きました。なんだか感情論で終わってしまいましたね……。

 04.06.09

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思い9.あだ名

 私はあるサークルに所属していますが、そのサークル内では同じ姓の人がいます。更に、先輩にかって私と同じ名の人もいたということで何と呼ばれるといいか困っています。こういうときにあだ名が付けられ、重宝されるなんてことがありますね。

 私のバイト先ではおっちゃん達があだ名で呼び合っていました。名が「かつじ」の人は「かっちゃん」、姓が「いたばし」という人は「いたさん」と呼ばれていました。こんなあだ名を何度も聞いていて思いましたが、この世代の人々と私達の世代とではあだ名に対しての感覚が違うみたいです。「とみなが」→「トミー」、「長村(おさむら)」→「村長」、「かおる」→「かおドゥー」→「ドゥー」(最終的に「ドゥー」)などが決定的に違うあだ名かと。おっちゃん達は「単純に簡便化」(仕事だからかもしれませんが)、私達は「ヒネリを加えて簡便化」となっています。

 私はこの違いが生じるのは、時代の変化によるあだ名の受け止め方の違いにあると考えました。要するに、おっちゃん達は略せばいいと思っているのではないでしょうか。なぜ略したいのかは、その人のことをたくさん呼びたいからであり、なぜその人のことをたくさん呼びたいかというと、その人とより親しくなりたいからです。おっちゃんたちはあだ名を主として親しくなるための手段として用いているのでしょう。私は私達がなぜヒネリを加えるのかはよく理解しているつもりです。面白くつけるのが基本ですが、別に面白いあだ名を求めているのではなく、その面白いあだ名に匹敵する個性、キャラクターをその人に求めているのです。つまり「トミー」には「トミー」としての個性を発揮することを、口には出さなくとも「トミー」と呼ぶ人皆が求めているのです。

 あだ名に限らず、呼ばれる名によって私達のとる行動は変わるものです。私の場合、「○○」「○○くん」「○○さん」「○○様」「カトゥー」と呼ばれる全てでとる行動が違いますから。もっと具体的な例として、子供のパパの例が挙げられます。仕事場で「○○さん」と呼ばれるときにとる行動と、家で「パパ」と呼ばれる時にとる行動は違うものですし、また期待される行動も違うものであるということです。

 おっちゃん世代と私達の世代のあだ名に関しての考え方の変化は、いつごろどういうきっかけで起こってきたのか興味深いですが、そんなことを考えるのは私だけなのでどうしようもないです。さてさて、サークルで私は何と呼ばれればいいのやら。実は「カトゥー」も既にいるそうなので、HNの変更が必要でしょうか?でもこのHNは中学校以来5〜6年続いているのでなかなか捨てがたいです。まあ捨てませんけど。オンリー1の名前の方々はうらやましいです。まだ早いですけど、自分の子どもにはオンリー1な名前を付けてあげたいですね(笑)

 04.06.09

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