秋田こまっち。

社会心理学 概要

1.「本能説」と「模倣説」

 人間の行動の理由について説明した2つの初期の説。ただし、現在はそのどちらも採用されていない。「本能説」には「行動が全て無学習のうちに行われなければならない」という矛盾、「模倣説」には「まねをする元になった最初の1人がいる」という矛盾がそれぞれある、という講義。

 なるほど、確かに本能と模倣は矛盾が生じますがすばらしい観点だと思います。ちなみに私は「人間は何をもとに行動するか」といったことを講義以前に考えたことがあります。私が考えたのは「経験」と「感情」が大部分の行動の根拠になっているということです。私たちが出合う事象は基本的にこれまでに経験したものです。別に直接に経験したことがなくともそのことについて見聞が多少なりともあれば、それを広義の経験とみなすことができると思います。私たちの行動に大きな影響を及ぼす先入観は経験無しにはありえないことですよね。

 経験が行動を支配する具体的な例として「これまでに誰も遭遇したことの無い宇宙物質が、目の前に五感で知覚できる状態である」と考えてみることにします。果たして人はどう行動するでしょうか?私はその物質に対しての先入観に従って行動をすると思います。つまりなんだか面白そうだったらいじってみたくなるでしょうし、なんだか気持ち悪い毒々しい色をしていたら近寄りがたくなるでしょう、ということです。こんな感じで、大体の行動は経験で説明できると思います。

 ただし、経験ではどうしても説明のつかない場合も数多くあると思います。具体的な例として「突発的な怒りで目上の立場の人を殴ってしまう」という行為が挙げられます。経験上では目上の立場の人を殴る行動はとってはいけないと大多数の人が思っているに違いありません。ですが、殴ってしまったのは感情が経験を支配した状態になったと考えると納得できます。このように「感情」も時には「経験」以上に行動を支配します。

 まあ「経験」と「感情」の他にも行動の基準になっているのが多々あるでしょうし、だからしばしば戸惑ってしまうんですね。「経験」も「感情」の表現も乏しい乳幼児(私は、子供が小さいうちは感情表現が乏しいと思っています。例えば、「歯痒い」といった感情は小さい子どもには無いと思いますし、理解もできないと思います)が突発的な事象にどう行動するかは興味深いことですね。その調査が、もしかしたら種としての人間本来の行動に迫る手段かもしれませんね。

2.「社会化」

・「社会化」はその集団の中でのアタリマエを身につけてゆくこと。
 例:日本人は朝にはご飯のとき味噌汁を食し、「おはよう」と挨拶すること。
・そしてアタリマエはいい意味としてのものでなくとも構わない。
 例:ヤクザやギャングの世界、スラム街などにもいい意味としてではないがアタリマエがある。
・そのアタリマエには意味が無くとも構わない。
 例:日本人は朝に「おはよう」と言うが、「何故おはようと言うのか」とか「おはようには何の意味があるのか」と考えることは無く、おはようということがアタリマエだからそう言っているだけであること。
・人はこの世に生を受けると選択の余地無く所属し、その集団のアタリマエを学び、それが自我形成に多大な影響を及ぼす。
 例:カトゥーは秋田県南のとある家に選択の余地無く所属し、秋田弁を使う、納豆にはオクラを混ぜる、基本的に小遣いは無い等といったその家のアタリマエを学んで育たざるをえないことになる。それが、カトゥーの今日ある自我の形成に多大な影響を及ぼすことになる。

 といった内容の講義。特に4番目に大いに納得。

 私が「社会化」という言葉から何を連想したかというと、やはり子どもの教育ですね。DNAが影響するとはいえ、育った環境が子どもの成長にDNA並、あるいはそれ以上に大きな影響を及ぼすことは容易く想像できます。「子は親を見て育つ」といわれているように。周りの子どもは自分に感化されてしまいます。「反面教師」という言葉もありますが、それは子どもが物心ついて初めてそのように行動できるのだと思います。小さな子どもに悪影響を与える行動は避けたいものです。

 「社会化」はアタリマエを身につけていくことですが、そのアタリマエを知らない人は社会から社会構成要員として認められない、あるいは社会から淘汰されることになりさえします。日本におはようと言えない人がいたとして、この人が日本で勉強したり働いたりといった社会的活動をすることができると思いますか?日本人全員がこの人を日本という社会の構成要員として認めてくれると思いますか?文句を言われたり注意されたくなかったら、アタリマエを知り、そう行動しなければいけないのです。

 また、社会化について考えて気づいたことですが、子どもには所属していく集団を徐々に大きなものにしていくよう配慮することはきっと大事でしょう。小さな集団(家族、友人等)の中では認められるのは比較的簡単ですが、大きな集団(会社、日本全体等)では認められるのは非常に困難です。子どもたちにはより大きな集団へ認められるように徐々にステップアップしてほしいですし、自分もそうありたいものです。本来小学校、中学校、高校、社会人と行動範囲が自然に広がっていくものですが、ネットの存在があり、現在はそうともいえません。所属した集団が狭く経験も浅い人は残念ながらwebでは口の悪い「自称大人」に非難されてしまいがちです。非難はあまりいいこととは言えませんが、自分の経験が浅く、知識も無いのであればいたしかたないことです。ですが自分の経験が浅いことを棚に上げ、逆ギレしたりする行為は論外です。色々な人がいる、それがおもしろいのです。ネットをする子どもたちにはたくさんの人を許容できる人間に成長して欲しいです。注意してくれる人でさえも許容できるような人間に。

3.「ラベリング」(「レイベリング」)

 「ラベリング」は「レイベリング」とも。主としてマイナスのイメージを一方的に押し付けること。イメージを押し付けられた本人はそうふるまわざるをえない状況に追い込まれ、いわゆる予言の自己成就効果を生み出す。例として一度犯罪をしてしまった者は前科者とみなされ、もう一度犯罪を犯すような状況に追い込んでしまったりすること等が挙げられる、といった内容の講義。

 これまた指摘されるとその通りですが、普段は特別意識するものではありません。ですが、私は今までどれほどラベリングを行ってきたのかと考えてみると、恐ろしいです。私は「経験に基づく先入観が人間の行動の重要な指針となる」と書いているように、これまで先入観は大事なものと考えていました。ですが、先入観ってこのように恐ろしいものでもあるんですね。画一的あるいは単純な思考に人を陥らせてしまうことでしょうか。人間の行動を決定する基準ということは、裏を返せば人の行動を制限するものでもありうるということです。例として思いついたのは「食わず嫌い」です。それは見た目、においなどの五感で知覚した結果として、ちゃんとした食べ物なのにその食べ物は食べるべきでは無いと本人が決定してしまうことです。うに、なまこなどのグロテスクなものを最初に食べた人ってすごいと思いませんか?何の知識も無い人にとっては、うにとなまこはあんなにとげとげした中に入ったなにやら黄色いどろどろしたものと、ぬめっとした何だかうごめく物体なんですよ。その先駆者たちのおかげで私達は安心して色々なものを食べているのですね。

 先入観の話は若干ラベリングとは関係ない話かもしれませんので軌道修正。ラベリングはいけないことなんですが、どうしても私達はやってしまうんです。マスコミが政治家が○○をしたとか、医者が○○をしたとか報道すると、私はオマエらはまたかとついつい考えてしまうんです。政治家の年金未納者、秘書給与流用者がぞくぞく現れると、実際は全ての国会議員がそうではない可能性も大いにあるのですが、全ての国会議員に問題があるかのような錯覚に陥ってしまいがちです。(もちろん、全ての国会議員に問題があるという可能性が拭いきれたわけではありません)この世の中にはラベリングが溢れています。近頃の若いもんがとか、これだからガキはとか言われるとあまり怒りをあらわにしない平和主義者の私でもカチンときますしね。昔は良かったということが基本的には過去の神話化にすぎないのにそのことに極端に縛られ、「昔の子供は○○だったが、今は○○だ」と社会全体で子供を非難してみたり……。私達はラベリングには注意しなくてはいけませんね。本当によくしてしまいがちですから。

4.動機

 とりわけ犯罪の動機は基本的に本人の意思をそのまま反映することはない。それは、動機の言語化が非常に困難であったり、動機が動機として相手に伝わるには相手と分かり合える存在同士でなければならないから。といった内容の講義。

 唐突ですが、自分が高校に進学した時の志望理由、あるいはまだ進学していない方は行きたい高校の志望理由を100%相手に伝えることができますか?私はできませんし、できるはずが無いと理解しています。自分の心の内の全てをを相手に理解させることは無理だと思いませんか?また、そもそも動機の言語化に意味があるのでしょうか?人がある行動をとったときの理由を全て受け入れられる人などいるのでしょうか?

 例えば、万引きという犯罪を犯したときの動機を考えてみることにします。この世には十人十色どころか、数十億人の人がいるために動機も様々考えられるところです。お金が無い、お金を払いたくない、その店に恨みがある、スリルを求めて、何かむしゃくしゃしていた……。こんな感じで動機など山ほどありますよね。ここでこのような人がいたらどうでしょうか?「雨が降るたび、万引きせずにはいられなくなる」と。もちろんその本人は精神鑑定をもくろんでのことでは無く(万引きでそんなことをする人はいないでしょうが)、心の奥底からそのように考えているものとします。皆さんはこの考えを理解できますか?でもそんな人が存在する可能性がゼロとは言えないことは理解いただけるかと思います。こんな人が現れたら、犯人は常人には理解できないことを口走っている、として片付けていいのでしょうか?

 ここに犯罪者が動機を相手に伝える際の問題点がおぼろげながらも見えてくるかと思います。動機は相手に理解されるものでなければならない、と。動機は自分の心の内を伝えるものではなく、一般的な犯罪の動機の中からこの場合にふさわしい動機を選択させられているだけではないか、と。

5.おわりに

 講義でなかなか参考になる話を聞けたので、普段考えたことの無いことについて深く考えることができました。この話については真面目に受け取ってもらわなくとも一向に構いません。「へぇ〜」と思ってくださるだけで結構です。本来そんな学問であるということを、講義をした教授が言っていました。この話は一体「何へぇ」もらえるのでしょう(笑)

 04.06.07

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