秋田こまっち。

社会心理学 「レイベリング」

1.レイベリングは他者の反応の結果

 「社会集団は、これを犯せば逸脱となるような規則をもうけ、それを特定の人びとに適用し、彼らにアウトサイダーのレッテルを貼ることによって、逸脱を生み出すのである。この観点からすれば、逸脱とは人間の行為の性質ではなくして、むしろ、他者によってこの規則と制裁とが『違反者』に適用された結果なのである。逸脱者とは首尾よくこのレッテルを貼られた人間のことであり、また、逸脱行動とは人びとによってこのレッテルを貼られた行動のことである」(ベッカー)

 ベッカーの言葉を引用しましたが、これが全てを物語っています。レイベリングの特徴は「『逸脱とみなされる側』がなぜ逸脱とみなされるか」を考えるだけではなく、「『逸脱とみなす側』がなぜ『逸脱者』とされている人を逸脱とみなすか」ということを考えたところが画期的なところです。

 具体的な例を挙げます。ある学校で遅刻する者が目立っていて、先生たちがなんとか減らそうとしていたとします。そこで何が遅刻かを「厳密に定義」し、遅刻者には「ペナルティーを与える」ものと決めたとします。この場合も「レイベリング」が行われます。「○時○○分までに校門を通過する」「○時○○分までに教室の所定の席に着席している」などといった「厳密な定義」をすることで、チャイムから秒単位で遅れただけでも遅刻になります。グレーゾーンでなんとか網をかいくぐっていた人たちは「遅刻」とみなされるのです。このように相互の関係がやはり大きな要素を占め、先生たちが遅刻を「厳密に定義」しなかったら際どい人はセーフだったでしょうし、生徒がもっと遅刻に対し真摯な態度で臨んでいたら遅刻者は当然少なくなっていたでしょう。さらに「ペナルティー」によって遅刻者が「逸脱者」とみなされ、できのいい生徒とは区別されます。

 「逸脱とは、他の何にもまして、ある人間の行為に対する他者の反応の結果である」(ベッカー)

 とベッカーが述べていることからも分かります。「遅刻」の例など、まさにベッカーの引用の通りになっていますね。レイベリングは他者の反応の結果に過ぎないのです。ややこしい言い回しですが、「ある人が悪い」のではなく「ある人が悪いとみなされる」のです。その人は悪いとは限りません。だからといって、私は遅刻を肯定するわけではありませんよ(笑)

2.逸脱の継続性

 「少年隊の東が好きな私、本を読んでいる私、全部が集まって私の人格が形成されているんです!」(ドランクドラゴン 塚地)

 とドランクドラゴンの塚地がコントで言っている通り、それぞれの人にはたくさんの自分があります。学生としての自分、バイトをしている自分、サークルをしている自分、ネットをしている自分などなど……。私の場合はそうではありませんが、有名人などはそのうち特定のものだけが注目されることがあります。野球をしているイチロー、小説を書く綿矢りさ、泣いている徳光などなど……。

 これと同じようなことがレイベリングでも起こります。本来たくさんの自分が内にあるはずなのに、犯罪を犯したり、メディアで槍玉にあげられるようなことをするとそればかりが注目されてしまいます。このせいで「逸脱者」が生まれやすく、長いスパンにわたって「逸脱」が継続するのです。

 また、犯罪やメディアで「逸脱」が長い期間にわたって続いてしまうのは、一つの自分だけが注目された結果だけとはいえません。「更なるレイベリング」が行われたためです。「警察などの公的機関」「TVなどのメディア」から「逸脱」とみなされると、それだけで済まされるなんてことはありません。必ずその「一次的な逸脱」を知って、何かを感じた人によって「二次的な逸脱」が行われます。これでさらに強く逸脱者とみなされることとなります。

3.スティグマ

 「逸脱」は「みなされる側」だけではなく「みなす側」にも大きな関係があることは上に述べた通りです。「みなす側」と「みなされる側」にはどのようなタイプの人が多いのかこの文章の例から考えてみますと、「みなす側」には教師、警察などの公的機関、TVなどのメディアなどがあり、「みなされる側」には生徒、犯罪者、メディアで槍玉にあげられるようなことをした人などがいます。分かりやすいことですが、前者のグループは後者のグループよりも上の立場にあると思われます。

 この場合のスティグマとは、その人に与えられた社会的に印象の悪い属性や、その属性についたマイナスイメージのことです。これは「弱者」が「逸脱とみなされる」ときにあらわれます。

 当然、遅刻した生徒は自分のことを悪いと思っています。なぜ自分が遅刻したんだろうかと原因を探ってもいるでしょう。今度は絶対に遅刻しないようにしようと決意してもいるでしょう。ですがどれだけ心のうちで反省しようとも、先生には「遅刻」した者とみなされぐだぐだと説教されることとなるでしょうし、説教された先生以外からも「遅刻はするな」とちくちく言われることとなるでしょう。

 これくらいならまだかわいい方で、重大な犯罪を犯した者はもっと深刻なこととなります。どんなに心が澄んでいて反省していようと、社会全体から非難されることとなります。確かにそれだけのことをしてしまったのですが、殺人事件の犯人の扱いなどは可哀想でもあります。

 この二つの例では逸脱とみなされる側は自分の非を認めざるを得ない上、立場でも弱い側にあるので、逸脱とみなす側に一切文句は言えません。「なぜそんなに言われなくてはならないんだ!」と思ってみても意味は無く徒労に終わり、「悪いことをしたからだろう!」と言われるのは目に見えています。場合によってはさらに非難が大きくなることも考えられます。だから黙るしかないのです。ただじっと耐えるしかないのです。

 これがスティグマの実態です。本人の非、あるいは非が一切無くとも社会的に印象の悪い属性(障害、同性愛、フリーターなど)を持っている人は否定的な反応で周囲の人から見られるのです。それは本人もその属性については色々と思っていることでしょうし、他人からああだこうだ言われるとつらいものでしょう。

関連リンク
ソキウス

関連図書(紀伊国屋書店)
逸脱論と<常識> レイベリング論を機軸として (佐野正彦著 いなほ書房)

 04.09.16

ホーム > レポ→ト > 社会心理学 レイベリング