秋田こまっち。

秋田の方言メモ 第37話〜第39話

第37話.ねねばねは〜

 最近このサイトへリンクして下さったサイトや、このサイトの内容に関心を持って下さる方を見かけることができるようになりました。今までカウンターは1日でいくらかは回っていたのですが訪問者の反応が中々無く、「つまんね〜」とか「使えね〜」とか思われているのかと被害妄想の日々でした。某大手検索サイトへの登録にも失敗したようですし。月並みな言葉ですが「頑張ろう」と思えるようになりました。皆さんありがとう。

 ただ、私が所属しているサークルの方にこのサイトがばれてしまったようです。現実の私を知っている方に私の内面を晒すというのは些か恥ずかしいのですが、何とか耐える必要の無いどっしりと構える性格になるまで耐えてみたいと思います。ちょっとややこしいですが「まあ閲覧は仕方ないよ」ということです。プライベートの私を知ってしまってもどうか否定的な目で見ないで下されば幸いです。些細なことでマイナス思考のスパイラルに陥りがちですから。

 気を取り直して、頂いたメールの一部をご紹介します。前回の内容(関連リンクサイト内リンク)に関してのご感想でした。

 私は「ねねばね」って言います。「明日学校だがらねねばねは〜」と。同意を求める?みたいな時は語尾が”な”になります。「ねねばねな〜」と。どうも私の地区は語尾に”な”か、”は”がつくみたいです。んだでな〜(そうだよね)、知らねは〜(知らないなぁ)などなど「最後に”な”つけんのやめなよ」と言われた事があります。秋田の友だちと喋ってる時に。

 「〜ねね」は「〜しなければならない」という意味だと紹介しましたが、「〜ねばね」でも「〜しなければならない」という意味になりますね。確かにその通りです。これにはついうっかりしていました。

 「ねねばねな〜」と「ねねばねは〜」は若干違う意味になります。前者は「寝なければならないよね〜」という意味になりますが、後者は「もう寝なければならない」という意味になります。「明日学校だがらねねばねは〜」は「明日学校」があるから「もう寝なければならない」となるのですね。

 次に語尾について。

 「」と「」は聞いたことがあります。ですが、私はそれらよりも「」を頻繁に使います。「ねねねで〜」「ねねばねで〜」「んだで〜」「知らねで〜」といった具合です。

 この語尾は地方によってかなり異なる上、何気なく口にしてしまうのでとても面白いものです。様々な地方の出身が集うと、驚くほど話を特徴付けることになります。

 岩手出身の友人は「さ〜」とよく言います。これは岩手地方の方言なのかは分かりませんが、こう話すのが印象的です。青森の津軽地方出身の友人は「〜はんで」と言うそうです。「〜はんで」はそのものズバリなので、言いにくそうに「〜だよね」と言っているのでちょっとかわいそうです。兵庫出身の友人はどこでもいつでも誰にでも「〜やん」です。関西弁は比較的市民権を得ており、あまり違和感が無いのでこれはうらやましいです。こんなところでしょうか。

 更に「最後に”な”つけんのやめなよ」についてちょっと感じたことを。

 以前「地名はその地の人のものではなく、その地名を目にしたり口にしたりする皆のもの」ということを述べました(関連リンクサイト内リンク)が、この「地名」を「言葉」に、「その地の人」を「その言葉を言う人」に、それぞれそっくり置き換えることもできると思います。

 つまり何を言いたいかというと「対する人によって使う言葉は変えなくてはならない」ということです。本人が気持ちよく話しているつもりでも、聞いているほうが不快……とまではいかなくとも、違和感を感じてしまったら話している方の負けでしょう。

 ですから言われた以上、その人に対しては話す言葉を変えてみてはどうでしょう。

 実際、私も「すいません」と言われるのが苦手(関連リンクサイト内リンク)です。なぜかは分からないのですが、違和感が沸々と湧いてくるキーワードですね。また人によってこのNGワードが異なるので対処が結構難しいですね。話し手と聞き手の双方が。

 よく例えられるのですが、会話はキャッチボールです。もし相手がノーコンで変な球を投げてきても平気な顔してキャッチし、相手の胸めがけて真っ直ぐ投げる。そして自分が相手よりもキャッチボールが上手だとさとらせない程何気なく実行している。これが理想でしょうか。

 私もさっさと相手の手の内になっている青二才を卒業したいところ。まあ希望はでっかく。

 04.11.29

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第38話.たこたこ

 マイヤヒーというフラッシュを見つけました。(関連リンクマイヤヒー まとめ

 タモリ倶楽部の空耳アワーのコーナーのように、海外の音楽を日本語のとある言葉で置き換えてしまったというものです。歌詞と映像の組合せが絶妙で、何とも言えない脱力感がやってきます。

 このフラッシュで思い出したのが「指スマ」です。

 指スマ

 手をこんな形にして遊びます。協力してくれたIくんありがとう。一人でこの指の形をつくって撮影できないと気付いたときには絶望したけど、君のおかげで今は溢れんばかりの希望でいっぱいです。

 私の出身地方では「たこたこ」というゲームで、「たこたこ2!」のように言うんです。高校のときでも誰もが「たこたこ」と言っていたので結構広い範囲で浸透している呼び名なはずです。

 ですが現在の私の周りには「勝負2!」と言う人もいれば、「いっせ〜の2!」と言う人もいれば、「ボンバー2!」と言う人もいるんです。地方によって掛け声はかなり変わるにも関わらず、肝心の内容は全く同じ。ぐぐってみると、テレビで放送されたのが影響したのか「指スマ」で検索してヒットするのが多かったように思います。改めてメディアの影響力は大きいものだと実感しました。

 「じゃんけん」にも同じような傾向が見られます。ローカルな呼び方が結構あります。「じゃんけんポン」とか「あいこでショ」とか何とか言うでしょうが、「じゃんけんショ」という言い方や「あいこでポン」という言い方も聞いたことがあります。

 ぐぐってみるともっと変わった呼び方もありますね。「ちっけった」とか。小さいころに何で見たり読んだりしたのかは分かりませんが、確かに頭の片隅に残っているフレーズですね。もしかしたらその頃から今のように変わったことへ興味を持つ子どもだったのかもしれませんね。今は面と向かって「変わり者」と言われます。面と向かって。

 前々から全国で統一されているのが不思議で仕方がありませんでしたが、数ヶ月前に加藤茶がテレビで「8時だヨ!全員集合で『最初はグー』が広まった」と言っていて解決しました。実際発生したのはずっと昔でしょうが、統一されたのはごく最近なのでした。最近といっても私が生まれるずっと前の話ですが、一応テレビが普及した以降の話です。「指スマ」と比較してもその普及度からローカルな呼び方も多数見かけられますね。これも嘗て統一されていなかった時期があったということです。

 こういった言葉遊びは子ども達の想像力を掻き立てます。何かをちょっと弄ってはわっはっは。また弄ってはえっへっへ。「へっぷ〜」とか「ねんね〜ん」とか小さいころは私もよく言っていたと思います。その言葉自体には何の意味も無いんですがそれは置いておいて、何かへまをした友達に「へっぷ〜」とか言いませんでしたか?

 小学生くらいの子どもたちとよく接する機会のある方はよくわかるでしょうが、どうでもいいようなことを心から楽しそうにやってくれるんです。紅茶のティーバックを3つ(その上「レモンティー」「シナモンティー」「アップルティー」と違う味)一気にカップに入れてにおいを嗅いでみたり、おそるおそる飲んでみたり。満面の笑みで本当に楽しそうでした。私は今でもそんなタイプですが、子どものころはもっと楽しかったんだろうなと。バナナの皮を剥いて割り箸に刺してバナナアイスを作ってもそこまで楽しくはできません。「へぇ〜」と無駄経験へ一応の満足反応を示すか、「う〜ん」と自分がした行動にさも意味があったかのように感慨にひたるか、「うん」と自己満足に陥るか。無条件に楽しさが返ってくることはあんまりありません。

 子どもたちが大いに伸びるのにはこの楽しさが大事だと思っています。様々な子どもたちを見てきましたが、何をしても楽しそうじゃない子っているんですね。何をすれば楽しいのか、何をするのが好きなのかをを訊ねても返答に困ってしまう子。もっとずっと小さな頃にたっぷり愛情を注いであげれば解決できたはずなのにと思ったのでした。「お母さんあのね」と言えばば「お母さん」は自分の楽しさを増幅してくれる。そしてお母さんがいなくても自分で楽しさを増幅させる術を自然と学ぶ。三つ子の魂百まで。ああ取り返しがつきません。

 うわ。すごく暴走していたので軌道修正。

 既に形あるものをちょっと変更して使うということを子どもはやりがちだということ。そしてそれをただ何となく面白いと思うこと。ここまでお話しました。

 私の地方では「たこたこ」ではなく「いかいか」もありました。その名の通り1人で指を10本使います。「いかいか0」から「いかいか20」まであるので2人でやっても中々終わらない駄ゲーム。きっと「『たこたこ』面白い!」と思った誰かが「『いかいか』もできるんじゃ?」と思って始めたのでしょう。

 この発想はやっぱり大事でしょう。この場合に限り失敗していますけど、たくさん思い浮かんでそのうち1つでも当たればOKです。今の子どたちは少なくともただ漫然と受身の人になるのではなく、オリジナルを創ろうとする意欲を持った人になって欲しいと思います。本当に学力の低下は目に見えています。「ゆとり」って時間そのものだけを指すんじゃなく、私のように妄想を繰り広げることができる環境という意味合いが大きいような気がしました。

 指導要領の「総合」の授業では「発想」とか「ロジック」とかをやって欲しいと思います。今「総合」の授業では「数学」をしているそうな。うへぇ。

 04.12.09

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第39話.秘密の冬

 女の子たちは隠し事が大好きなのです。と、知ったような口ぶりから始まりましたが、かなりの人はこの考えに同調していただけるのではないでしょうか。

 とある秘密のノートがサークル内で誕生しまして、その輪の中に参加させてもらい、僭越ながらこれまた知ったような口ぶりで文章を書き込ませて頂きました。私自身、秘密ということを考えると些かにんまりとしてしまうのですが、女の子たちはどうやら私以上ににんまりとしてしまうようで、その様子を見てなかなか面白いなあと感じています。

 私も小学校の頃には女の子たちの輪に混じって交換日記を書いたりなぞしていました。ちょっと強引に輪に入れてもらった覚えがありますが、いやはや迷惑をかけました。あのピンクの何かのキャラクターもののノートは今はどこにあるのでしょうか。当時のみんなは日本全国にバラバラになってしまいましたが、誰かの実家の机の引き出しの中にポツンとあったらいいな、なんて。

 以前も書きましたが、小学生・中学生の頃は今以上に自分に自信があったなあと思います。どこからその自信が湧いてきていたのかはさっぱり分かりませんが、自信があったら中身が伴っていなくとも色々挑戦できて楽しかったな、と。

 女の子たちが秘密を好きなのは本能なのかな、と中学生の頃かそこらに思ったことがあります。男は狩りに出かけ獲物を仕留める、女は家庭を守る。こんな行動様式が遠い昔にあったために、男は自らの弱さを晒さないために秘密を頑なに守る、女は社会との調和を重視するために秘密を共有する。「地図を読めない女…」という本にもたしか似たようなことが載っていたはずです。

 そして私は以来「秘密」というものに大いにお世話になっております。女の子と仲良くなるために「ナイショだけどね…」「秘密なんだけど…」「コレ言ってもいいのかな?実は…」なんて言葉を使わせていただいております。おかげさまでほぼ無意識のうちにこの言葉がこぼれるようになり、計算高いのに自然な姿で振舞うことができています。同じ女の子に対して同じ台詞を言う場合、言う方が当社比2倍の効果が期待できます。この他にもあるのですがあまり露骨に公開すると私の効果が薄れてしまうと思いますから止めておきます。可能性の極限をとると、杞憂に終わる可能性が1に収束しますけど。

 さて。そのノートは秘密のノート(少なくとも私はそう思っています)なのですが、私が書いた内容は別に公にしてもいいようなごくごく当然の話です。それは冬のこと。

 ここ仙台の冬は秋田に住んでいた頃に比べて幾分マシですが、時折雪が降ったり、時折冷え込んだりして大変なことになる場合があります。今度は「実家に帰るときには水抜きを欠かさずやろう!」なんて知ったような口を書くつもりです。

 私にとっては「そのノートが秘密のノートであること」それ自体が価値のあることではなく、秘密を口実に仲良くなることです。いやいや違いますよ(笑)

 真面目に書きますと「綴ること」です。「綴る」とか「紡ぐ」とかいう響きが好きですし、その実践も大好きです。みんなでわいわいと綴っていくこと、それだけで素晴らしいことではないですか。

 そのノートには「初雪が降ったので、特に原付の人は運転に注意しよう!」と書いておきました。詳しく言及することはありませんが、私に当てられた役割期待行動を十分に果たした書き込みといえます。

 雪にも色々な雪があります。

 雨雪に始まり、粉雪に変わり、ボタ雪に変わり、ザラメ雪や根雪が誕生し、吹雪の2月が来て、気が付けば「バッケ」(標準語訳は「ふきのとう」)の「おがる」(標準語訳は「生える」)春がやってくるのです。

 吹雪のことを秋田弁では「ふぎ」と言います。雪国の冬を経験した方なら分かるでしょうが、それは凄まじいもので「視界が360°真っ白」です。「ふぎだまり」(標準語訳は「ふきだまり」)もあり、車の運転は大変なものとなります。

 やっとの思いで家に帰ると、祖母が「あびもぢ」(標準語訳は「あんびん餅」)を用意して待ってくれています。そして「ズボンの裾、凍ってらで」(標準語訳は「ズボンの裾、凍ってるよ」)と言われて気付く有様。家が暖かく感じたのは、その部屋の温度が外に比べて高かったからだけではなかったでしょう。

 雪囲いをして冬に備えるのはじいさんの役目、吹雪の日に家にじっと構えて孫を待つのはばあさんの役目。とても助かりました。

 秘密のノートに冬のことを書きながら、ふとどこか遠い冬に思いを馳せる私。やっぱり女の子が秘密が好きなのは…と中学校のときの考えを再確認するのでした。

 04.12.18

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